長谷園だより 土鍋のある暮らし




長谷園だより 土鍋のある暮らし-長谷園について-土鍋物語-『東京店 igamonoの20年間と、これから。』
土鍋物語
2024.10.14

『東京店 igamonoの20年間と、これから。』

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東京店 igamonoは、2004年に東京恵比寿にオープンしてから今年で20周年を迎えました。支えてくださったすべてのみなさまに心より感謝申し上げます。
伊賀焼窯元 長谷園のアンテナショップとして、窯元の想いを伝え、お客さまの声を聞かせていただく場所にしたいと始まった東京店 igamono。20年経った今もその役割は変わりません。これからもみなさまのお声に耳を傾け、「食卓は遊びの広場だ」をモットーに、魅力的な情報を発信できるよう精進して参ります。

20周年を記念し、東京店の始まりから今日までを一番近くで見てきた、土鍋コーディネーターの竹村謙二が当時の様子を振り返りました。『東京店 igamonoの20年間と、これから。』、ぜひご一読ください。

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あれから20年経ったんですね。

「東京にお店を出すことになりました。」と案内をくれたのは、長谷四兄弟の長女 章代さんでした。「妹を呼び戻して一緒にお店を作ります。」妹とは四兄弟の末娘、今の東京店店長です。

「えー! 大丈夫?」と、ほとんどの知り合いは口を揃えて言ったみたいです。

確かに、20年前の世の中の景気は下り坂で、日本全体が大丈夫? みたいな時代でした。

その時はまだ7代目が健在で、8代目は営業部長。二人のものづくりへの想いはすこぶる強く、そして伊賀の風土と伊賀焼への愛は底なしです。

「作りたいもの、やりたいことは山ほどある。」これは7代目がよく口にしていたこと。

それを具体的な形にして、ビジネスに落とし込むのは8代目の使命です。

マーケットが求めているものは? お客さまに直接話が聞いてみたい。新鮮な情報を肌感覚で入手したい。二人は前々から切に願っていました。

そして二人はまた、こんなに魅力的な伊賀の風土と伊賀焼のある暮らし、こんなに豊かな食事を提供できる土鍋をもっと多くの人に知ってほしい、直接伝えたい。と考えていたのです。

強い想いは何かを呼び寄せるものです。

7代目の古い友人が恵比寿で営んでいたアンティーク家具店が移転することになり、その場所が空くという話が舞い込んだのです。ただこれだけが、東京店開業の経緯。

マーケティングとか市場調査とか景気動向とか、仔細な検討計画とかはなく、長谷一族の強い想いが東京店という形で恵比寿に結実したのです。

東京にお店の場所は確保したものの、伊賀の山奥の陶器メーカーですから、ショップを作るといっても、右も左も分からない。

そこで、当時長谷園の営業として百貨店の売り場を担当していた長女の章代さんが頼りにしたのが、妹の伊佐子さん。伊佐子さんはこの頃大手の小売販売の仕事をしており、店長を任されていました。まさか長谷に戻るとは思ってもいなかった伊佐子さんですが、東京店オープンという一大イベントがきっかけで一族のビジネスに加わることとなったのは、やっぱり宿命だったのでしょうか。

姉は百貨店売り場に精通し、妹はショップ店長経験者。なかなかのタッグが生まれました。とはいえ、独自の店を作り込むのは未経験です。右も左も分からないという状況には変わりありませんでした。

伊賀の人々の強い想いと東京在住姉妹のバトルが始まったのは必然で、それはそれは大騒ぎ。七代目vs四兄弟!七代目vs東京姉妹!八代目vs東京姉妹! 戦いは混沌を極め、一時は家族崩壊の危機(大笑い)に。そんな大騒ぎも振り返れば楽しかった思い出の一つです。深い愛の結果の災いには、救いの神が現れるものです。当時バリバリの商業施設を立ち上げ続けていた、超有名デザイン会社のショップデザイナーが手を差し伸べてくれたのでした。

限られた予算で、居抜きの空間に作るお店。これまでのショップ構造を生かしながら、伊賀の風土と暮らしぶりをイメージして新たな魅力を創造する。

できあがりました! ちょっと不思議なスペースのお店になりました。什器に使った素材はインドネシアの古い住宅の壁面に使っていたチーク材の板です。初めから古びている素材は傷が目立たないので、重くてざらざらした土鍋がメインの店舗にはうってつけの素材。家具もインドネシアのアンティークテーブルとチェアで統一しました。

伊賀の自然と何気ない日常を東京に表現したいと、山野草や樹木の鉢をたくさん持ち込んだ少し歪な空間だけど意外とゆったりとしたショップが完成したのです。

なんとかお店を活性化したいと、伊佐子店長と章代さんの苦悩の日々はしばらく続きます。閉店後から深夜まで売場変えをしたり、チラシを作ってポスティングしたり……。とはいえ生まれながらのポジティブシンキング一族。ご来店いただくお客さまに土鍋の良さをきちんと伝えていけばなんとかなる! で、なんとかなりました。

開店からしばらく経ったあるとき、長谷園の土鍋がテレビで取り上げられました。いろいろな局で幾度も「かまどさん」や長谷園の土鍋がさまざまな形でテレビに紹介されたのです。それをきっかけに実際に土鍋を見ようと、東京店にお越しいただくお客さまが増えました。

しかし、他力本願のテレビ放映に全てを託して日々に甘んじているほど、のんびりした伊賀人ではありません。もっといろんな方にお店に来てもらう手立てはないか? ありました。それはお店のイベントを開催することでした。

土鍋料理のビール祭や土鍋料理のワインパーティー。東北野菜の恵比寿朝市などなど……。

いろいろやりました。今も続く東京店土鍋料理教室は、その時に生まれたスペシャルイベントです。

道路拡張のため、東京店は一度移転しました。同じ恵比寿ですが、3分程先の場所です。今度は土鍋料理を楽しむイベントができる、大きなキッチンのあるお店です(前のお店のキッチンは狭くて、苦労しました笑)。美味しいものに目がない長谷姉妹の視点で選び抜いた調味料や雑貨も取り揃え、ますます楽しいお店になったと思います。

道路拡張の話が本格的に進み、物件探しを始めた頃、長谷姉妹が「こんな場所でやりたいな。」と気になっていた飲食店がありました。それから半年ほど経った頃、なんとその場所が空き店舗に。しかし不動産屋には飲食店しか入れないと断られたのです。その頃、世の中はコロナ禍。何度その前を通っても空き店舗のまま。ガラス窓に張り付き何度も何度も中を覗いては、ここでやりたい! という思いが募る姉妹。強い思いは長谷園ゆずりなのでしょう。ダメで元々、再度不動産屋に問い合わせると、なんと今度は入居OKの返事! 
新しいスペースに前のショップ什器がスッポリ収まったのも、運命だな、何かに助けられているな。と感じます。開窯当時からのご先祖さまか弥勒菩薩か? きっとそれらのご加護もあるのでしょうが、一番はやっぱり長谷一族と伊賀丸柱地域の人々の強い想い「美味しい豊かな暮らしを届けたい。」という気持ちが多くの人々に伝播して、伊賀焼を慈しんで楽しんでくれている人達の想いと共鳴した結果なのだろうと思えます。

なんだかんだといつも何かが起こります。なんだかんだといつも何かをするからです。「多くの人に豊かな暮らしの提供をしたい」という伊賀からの想いが、東京店の原動力です。「食卓は遊びの広場だ」お店の入り口正面に掲げられた言葉が、それを伝えています。


これからも東京店 igamonoは土鍋を伝える伊賀焼のお店として、お客さまと楽しい関係を紡いでいけたらと思います。

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